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サッカー切手の世界
切手の歴史
切手とは正確には「貼付用郵便切手」といいます。
・1840年イギリスで初めて使用されました「ローランド・ヒル卿」の考案です・・・1ペンス、2ペンスの2種です。
・日本では1871年発行の「竜文切手」が最初です・・・四十八文、百文、二百文、五百文の4種です。

・サッカー切手の歴史

・1924年第8回オリンピックパリ大会で優勝したウルグアイは「勝利の女神サモトラケのニケ」を描く同一のデザインの記念切手3種類を発行・・・これが世界で最初のサッカー切手とされています。

ウルグアイは続く1928年第9回オリンピックアムステルダム大会にも優勝、「立ち木のゴールポスト」を描いた同一デザインの記念切手3種類を発行・・・オリンピックを2連覇したウルグアイは南米サッカーの存在を世界に印象付け1930年第1回のワールドカップ開催のきっけかけとなりました。

1930年第1回ウルグアイワールドカップの最終参加国は13ヶ国で予選は行なわれませんでした。決勝は2年前のアムステルダム・オリンピック決勝と同じウルグアイvsアルゼンチン、結果はまたもウルグアイが4-2で勝利を収めました。しかし熱心にこの大会を招致し、誇るべき初優勝までしたウルグアイは何故かこの大会や優勝を記念する切手を発行しませんでした。1924年、28年のオリンピックでの優勝に際して2度とも記念切手を発行し、サッカー切手の歴史を開いた国だけに残念で理解に苦しむところです。オリンピックに比較して、スタートしたばかりのワールドカップは今では想像が付かないくらい過小評価の大会でした。

・ウルグアイのワールドカップ第1回大会開催の名誉ある功績は大会の隆盛と共に重みを増し、これを国の誇りとする同国は第1回大会のポスターをそっくり描いた「ワールドカップ記念碑除幕」記念切手を1984年に発行しました。

1934年第2回イタリアワールドカップを記念するはじめての切手が開催国のイタリアから発行されました。それも一挙に30種類にのぼる多さでした。これはイタリアが当時ムッソリーニによる独裁政権の最盛期にあたり、ナチスもドイツの権力を手にするなど、次第にスポーツが国威発揚など政治に利用される様相を見せ始めたためでした。切手はイタリア本国の9種類にとどまらず、当時イタリアが占領していたエーゲ海諸島や植民地からも発行されたのです。発行の経緯はともかくとして、現在では膨大な量が発行されているワールドカップの記念切手の最初のものとなりました。

切手の魅力
・サッカー切手の魅力

・サッカーは世界で最も人口が多いスポーツです。その為、現在では開催国に限らず世界の至る所の国で発行されているのは当然かもしれません。切手の図案には「実写」のものと「絵」として描かれたものがありますが、「実写」のものに関しましては当時のプレーの一瞬を切り取ったもので、選手の表情からも歓喜しているものや試合に敗れて悲鳴を上げている姿からは、サッカーを知らずとも心を打たれるものです。
 また、切手には単に選手を描いたもの以外にも当時の時代風景を写したものもあり、サッカーと人々の生活はいかに密着していたかが分かります。
 様々な国で発行されるサッカー切手でも、やはり国によってデザインの特徴があるのも分かります。例えば、イタリアなどでは常に近代的に感じさせるシンプルなデザイン、かたやメキシコなどはラテンの雰囲気が漂う情熱的なデザインなどサッカーのワールドカップでは各国のサポーターが服装なども含め自国のスタイルで応援する光景は今では必然と目にしますが、切手のデザインにも同様な事が言えるでしょう。
 時と共にサッカーが世界へ浸透し、今ではたくさんの人々を熱狂させるスポーツとして認知されましたが、これまでの時代風景を含めた裏側を小さな四角形に描かれた図案から想像出来る事が切手の魅力ではないでしょうか。